娯楽
アートや文化が衣食住よりも価値がないことなのは分かってる。
でもね、面と向かって言われると傷付くよ。
一部の人にはこれで傷付くんだ?なんて意外に見て取れるかもしれないけど、そりゃわたしも馬鹿にされてるように思ってしまうし、怒りとか出てくる訳だよ。(そういうやつはおれのことなんだと思ってたんか聞きたい訳だけど別にどう思われようがいいことだな。)
実際それは否めないことではあるし、その側面も十分に理解している。
ただ、少数でも必要ではあるものだし、経済を少しでも動かしていることも事実だ。何より心に寄り添い、それを糧にして暮らしに彩りを持てているからこそ成り立っている。特にオタク文化は代表的だ。
話しは逸れるが、たとえば戦争や疫病でシーンが消えたとして。人命がある限り、またそれは復活していくものだ。シーンを守りたいならその為にいま命を守るべきである。何故なら娯楽は必要なものだからだ。とも思う。
ただでさえ技術に関心はあっても、芸術に関心がない日本だ。言いたいことは理解できる。世間からしてみると少数派だし、作品を嗜むことは金持ちの特権と言う人もいることは確かだ。馬鹿にしているわけでもないこともわかっている。
なのに感情的になってしまった!
本当に分かっていたら怒りなどは生まれないんだ。
正直なところ、じぶんを恥じた。
いけないところだと思うし、そういう感情的な行いひとつで、芸術や文化の品格やイメージが損なわれてしまう。そしてその意識が多数だともっと疎外される。
もっと相互的に向き合いたいし、そもそも生きているだけでも人というのは人を不快にさせるというのに、アートを生み出すということに対して人並み以上の責任を持たなければいけないと思っている。だからこそ、常々言うけれど、承認欲求で終わらせたくはないのだ。
本当に怒りは何も生まない。感情で留まるだけなら動物でもできる。
まだわたしは子供なのだと思う。
もっと相互的に見て行かねばならない…。
それを常に考えて行動して行かねばいけない。何事も一方的であってはならない。
とにかく…そういう世論や世間を理解した上で物事を判断し、製作をし、構えなければいけないのに、つい熱くなってしまった話しだった。グッと堪え、ただ肯定をし、静かにそういった自論を述べた。
人間としてまだまだだと思いながら。
もう少し若かったらわたしはここでブチギレていたんだろうなあと想像する。
「わたしを否定するのか、仲間を否定するのか、芸術を否定するのか、死ねと言うのか、それに生かされてる側面はあなたもあるだろう」などと擦りつけてしまうんだろう。ああ、醜い。
わたしは芸術・人生・哲学を通して人としての生き方を模索しているのだが、これもその一環だ。全てがじぶんの為であり、全てが人類へ、共存してくれている自然の為であるように、生きたい。溶け込みたい。
それが目標だ。
好きだからこそ、真剣にわたしは向き合いたい。感情論ではなく。共存する為に。
こうして考えていると、傷付いた心などは、とうにじぶんの蓄えとなっていて、ほら嬉しい気持ちになってくる。
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