わたしは何者か
わたしはあまり詩人に興味がない。
というか、人の話にあまり興味がない。
自然と目の前に出くわした時にしか、興味を抱かない。
なぜなら自分が同じ詩人だからであるし、同じ人間同士だからだと思う。
なんだろう、全てのものはもう自分の中にあるんだよね。
でも、ふだんはきっと忘れていて、みんなその感覚を自分のなかから引き出すことができるかできないかっていうか…。そんな感覚。
詩人だけじゃない。ミュージシャンやアーティストについてもそう思っている。
人間、鼻歌を歌えば、メロディーがよぎればミュージシャンになれるし、絵を描けばアーティストになれる。
わたしは全て持っている。
もちろんだれでも。
なろうとするかどうか…意識をするかしないかだけの「違い」なのではないかっていつも思う。
わたしたちは芸能人だろうが、一般人だろうが犯罪者だろうがそうでなかろうが、音楽をしていようがしていまいが、頭悪かろうが、良かろうが、何者でもないただの同じ「人間」にしか過ぎない。
元あるベースや持っているものはみんな同じで、「意識をするか」どうかが鍵だよなあと思う。
だからあまり、取り立てて必要以上に何かを聞きに行くことや観に行くことはしない。
けれど、やっぱり好きな人はいる。
でも「詩人」とか「ミュージシャン」とか、そういうカテゴリーにわたしはできるだけ分けたくない。
カテゴライズは元より好きではないのもあるけど、そもそもがそれ以上でも以下でもなくわたしたちはまとめて「人間」なのだ。
そして、みな友達であり、友人である。
自然の一部、宇宙の一部なんだ。
だから「人間」とか「好きな人」というふうな感覚でいる。
有名な「(何かのジャンル、例えば詩人)」だからって、偉人や英雄だって、最初から何か特別な人なわけではないし、ただの人間にしか過ぎないからわたしたちと一緒。
だから、逆を言えばわたしたちも偉人であるし、詩人だし、ミュージシャンだし、アーティストだし、何にでもなれるってわけよ。
自由な自然と宇宙に生きてる。
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