めちゃくちゃにしていいよ

タイトルで釣られたひと、こんにちは。
罰としてショッキングかもしれないのだけれど、これを見て考えてみてほしい。
わたしは、これがアートと言われると何故かそうは思えなくて。
でも、パフォーマンスと言われるとしっくりする。この差はなんだろうか。

‪この人は、じぶんのからだを差し出すことにより人間の性や悪、善意に対しての答えを探していたのかもしれない。
‪自分が当事者にならないとそれは分からないから差し出すしかなかった。
リアルを一番感じているのはいつだって自分自身だ。

まるで、人間に対するデモ…。
アンチテーゼのようにも感じてしまった。

彼女自身もまた攻撃的なのだ。
けれど、たまたまこのパフォーマンスがいい塩梅の攻撃性になっていたのかもしれない。
この場に限っては。

けれどとても共感ができることがある。
普通にやりたくなる気持ちが分かる。
わたしもこうして人に差し出してしまうことが日々沢山ある。実験するかのように。

探究心というのは無限にある。
果てがないことを、知りたいと思う。
それと矛盾は違うと思う。

「ああ、やっぱりな」と思うことに刺激はない。だからまた希望を見出して、この人もまた、「わたしの感覚を超えるもの」を探しに行くんだろう。ずっと旅しているんだ。

人間をもっと知りたい、という気持ちが共通しているような気がしている。

potsura.

思うことをぽつら、ぽつら。 小説のような、日記のような ぼくの淡い日々と哲学と本音。

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