絶対はある
よく恋愛の話をしていたりするとありがちな会話ナンバーワン、
「絶対」の有無について。
これを考えたりするだけでも頭がハゲるほどなんというか怒りに似た悲しみというか恥ずかしさというか、そんな感情で
ウワーーーーーーッ
ギャーーーーーーーーーーーーーッ
てなるんだよね。
正に今、なっているので、落ち着いて書く。
この手の話が出る時って90%くらいが否定的な目線から話すか、肯定的だけど完全には信じてない、みたいないわゆる「偽善」「なげやり」の気持ちで、
- 「絶対」なんてないの。わかって。
- 「絶対」…信じてる。わからないけど。
- この世に「絶対」なんてないんだよ。
などと発言しがちだと思う。
正直これらを言われた時のわたしの心境は、
- 「絶対」がないのに「分かって」?何を?
- 「絶対」がわからないなら信じることもできないじゃないか。もう口聞きたくない。
- 「絶対」がない?なんで?大切なものたくさん見落としまくってるんだろうね。
- 傲慢だー!うおー!
- つまらない奴だな〜まぁでもいい奴だし。
ざっとこんな感じなんだけど、あぁ傷つかないでくれ。
わたしは愛に生きてるから大丈夫。
見捨てることはしない。
とにかく、「絶対」なんてない…。
って簡単にバッサリと切り捨てたかのようにカッコよく遠くを見つめ、悟ったようにみなさん言いがちですけど、それをすること自体がダサいとわたしは思う。なんでだと思う?
その先を見てないから。見ようとしてないから。そのマインドが大ッ嫌い。
物心ついた時から「絶対」ってなんだろうってずっと考えてた。絵本を読んでた頃から。
「絶対」とか「愛」とか「生」とか「死」とか、なんなんだろうって。あるのかなって。
(多分「死」がいちばんはじめだけど。)
「絶対」はあるのかについて、それから大人になったわたしでもなかなか答えは出せなかったんだよ。
ただ、「絶対」は「在る」という答えだけ先にわかってた。だけどなんでなのか、その方程式がまだわからなかった。いつもそう。
それがわからないと胸が張れないのに。
いつもそうでずっと気持ちが悪い。
歯切れが悪い…。
だけどいつかその時になったらわかる日が来て、しかも答えは近くにあって、絶対にシンプルなんだって信じていて。(これはどんなことでもそう思う)
そしたらやっとこのまえ来たんだよね。
やっと!
宝物を見つけるみたいでこのタイミングが大好きなんだ。やっとみつけた!
死や生は「絶対」に起こることなんだって気がついた。こんなに当たり前でシンプルなのに気がつかなかった。馬鹿みたい!
「絶対」はやっぱり、あった!
しかもどんなものにも死や生はあるんだ。
人間、動物、機械、植物、アート、テレビ番組、心。
死や生は「絶対」。
わたしたちが生まれて今生きているっていうことは、この日本に「絶対」に生まれてきた「事実」があるからここにいる…。
わたしたちがいつか死にゆくことも「絶対」だし、それは否定できない「事実」
ビッグバンも同じ。
(きっとそれを否定するのなら、天国の存在を否定することもきっとできない。)
ていうか、同じクラスのあの子が引っ越しちゃうのも「絶対」じゃん!
だって小学校の頃にほんとうに転校しちゃって、会えてないよ!
だから、「感情」や「愛」にもその「絶対」が起こりうるとわたしは絶対に考えたい!
近くにあるものほど、目に見えない。
わたしはそれにかこつけて甘えたくない。
絶対に見つけることができるから。
でも、信じられないのも無理はないとも思うの。人間の性質的に。
そもそも人間は否定や鬱傾向などマイナスな方向に考えたがる性質を持つ生き物だから。
人間ってもともとネガティブ思考で人間の思考の70〜80%はネガティブ思考でできている。(日本人に自殺が多いことを思うと、日本人は特別ネガティブなんじゃないかなと思う。90%はネガティブ思考なのでは…?)
そのネガティブをなぜ発揮してしまうと思う?
その答えは「自分の思い通りにならなくて傷つくシュチュエーション・人生に於いて、ネガティブになっておけば、その結果が悪ければまぁそのままだし、いい結果だったら現実が少しマシになってほっとする」から。これって自分の心を守ろうとしているからなんだよね。
このネガティブ思考を「思考性防衛本能」と呼ぶんだけど、これ自体に否定はしません。
でも、あまりに臆病すぎると思うことがたくさんある。もったいないと思うこと、とりこぼしまくっていること。
なにも前に進めないと思う。いいふうには。
嫌な言い方をすると、殻に篭ってる。
それでいいの?と問い続けたいし、
生きて死ぬだけの人生で、楽しまないの?
味気ないままでいいの?って思う。
まぁわたしは馬鹿騒ぎするよりも、世界のことを考えるほうが好きだけど。
やっぱりどっちもバランス良く居たいかな。
もっと塩とかコショウとか振ってもいいのに。スパイスとか…。
そこから俯瞰するなり脳のねじを緩めるかしないとつまらないし、頭でっかちはなにもはじまらない。
逃げて保険かけてるだけじゃきっとダメ。
死んだら保険なんてなんの価値もないんだから。
だから安直で否定的なひとはあまり好きじゃない、まるで、悪いことを覚えたての悪い子供みたいで。(いい子供は大好き。)
でもそれも可愛らしく見えてもくるのよね。
こんなにも近くに「絶対」はあるのに、それに目を瞑って想像力を働かせないことのほうが圧倒的に「成長」「自分」「自然」「宇宙」「母」「愛」に対する罪を感じる…。
学者にならずとも、もっと人間は希望的観測を自分なりに素直に信じていくべき。
違いますか。
死んだら名前なんて無意味だから、
わたしはいまだけ哲学者で居続ける。
p.s
この記事書くのに2.3時間費やした。
さあホラー映画見るぞ〜。
ちなみに、このツイートが元になってブログに起こしました。
ツイートすると長くなるので…。
あとフォロワーも減りそう(どうでもいいが)
安直で否定的なひとはあまり好きじゃないし、こんなにも近くに「絶対」はあるのに、それに目を瞑って想像力を働かせないことのほうが圧倒的に罪を感じる。
— 𝚃𝚜𝚞白𝚖𝚊 𝚢𝚞𝚔𝚘 ☄︎ 𝙰𝚛𝚝×𝙳𝚎𝚜𝚒𝚐𝚗 (@yuu_com_jp) October 28, 2019
学者ならずとも、もっと人間は希望的観測を自分なりに素直に信じていくべき。
いちばん大切なものは目には見えないとはよく言ったものだと思うけれど、わたしは出来る限り大切なものをそのままの感度で見たいし、探したいと思う
— 𝚃𝚜𝚞白𝚖𝚊 𝚢𝚞𝚔𝚘 ☄︎ 𝙰𝚛𝚝×𝙳𝚎𝚜𝚒𝚐𝚗 (@yuu_com_jp) October 28, 2019
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