やりたいこととシガラミ

デザフェスギャラリーへの搬出をしに今電車に乗るところである。

つまり今日は展示。

今回の展示はあまり、人を呼びたくなかった。わたしの展示に対するパトスも低い為だ。
もう一つの理由は、
「自分は何をやりたいのか?」
「向いているのか?」
という考えを脳内で進めていく内に、やりたいことが割と明確になってしまい、それと今回の展示が比例していない為である。

今回の展示は絵・洋服・雑貨なのだが、わたしのやりたいことは、
《詩をアートして生かすこと》だった。

映像にする、写真と詩の本を作る、詩にメロディーをつける、それに伴う映像および舞台のコンディションだったりする。そんなことだった。

なぜ今になって判明したかといえば、
思えば小学6年生位から椎名林檎を聴きだし、歌詞の可能性を知り、それからちょくちょく詩を書きはじめていた。
それは今も同じで、何か嬉しいことや儚さを感じた瞬間、または辛いことがあると、こっそり詩の世界へ身を潜めたりしていた。

絵の方のアーティストになるという固定概念がいままで親や友人や、もちろんわたしにあったから、ずっと絵を描いていた。
というか、描いていたふりをしていた。
…のだと思う。

小さい頃からわたしが絵を描いているというだけで、才能があるかのように周りがちやほやするし、絵の道具を買い与えてくれる。その固定概念からによる期待に応えたいが為に、絵を描いていた。だけど何故かしっくりこないし、そこまで絵を描きたいっていう情熱もなかった。
だけど、わたしにはそれしかなかった。わからなかった。
ピアノもバレエもそろばんもギターもすべてすぐに飽きた。
それしかできそうになかったからやって来てただけで、絵の他になにか可能性はないだろうかと見つける為に、専門学校へ入学するに至った。

そこで救いだったのが、アートを学べる学科であることだった。

とにかく、そんな風に自分のやりたい事が判明した今、絵を描くのも割と嫌になって来た所であるし、こんなに中途半端な展示もほんとうはしたくなかった。わたしの意に反するが、もうお金は払ってしまったし、辞退するのもやはり意に反する。

なにか得るものはあるだろうと、最後の気力を振り絞って足を一歩踏み入れた所だ。

potsura.

思うことをぽつら、ぽつら。 小説のような、日記のような ぼくの淡い日々と哲学と本音。

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