喫茶 自然館でひと息、生き方や仕事のはなし

突然だけど、ひと息、という言葉がすきだ。

最近はイベント<< hikari//反芻>>やその後のギャラの支払いやらの後始末、UPJ6フライヤー作りなど…いろいろ忙しくて、始めたヨガも段々と行けなくなってきて休会か退会をすることにした。

今日はお休みだったので、昼に脱毛しに新宿へ行き、そのあとヤスくんにギャラを渡しに行き、会う予定だったささきなそちゃんの予定を来週にリスケしてヨガの休/退会の手続きをしに行ってきたのだけど、あいにくのお店がお休み…。
色々行ったり来たりしてすごく疲れた。
無事に手続きできるのだろうか…?

ひと息、そう、ひと息をしたい。
今こそがひと息チャンス。

そう思い、ふらふらと旦那と散歩をしていると、ミュージシャンのふゆふきうどんちゃんにばったり。これからひかりのうまへライブしに行くんだって。
ひかりのうまか…すごく好きな場所だし、うどんちゃんは久しぶり。
あ〜〜〜とても見に行きたかったけど、あいにく、今日はお休みの日なのだ。
何もしない日。

今度行くね。頑張ってね。ばいばいまたね。
そんなこんなでまたふらふらと歩いて居たら、とってもステキなお花があって。

わたし「わあ綺麗!!これなんのお花だろ?みて、綺麗だよ!」
(こう言う時、旦那はうわの空でつまらん)
わたし「綺麗だねえ。。」
プチ騒ぎしてたら、そのお花の家のカーテンがいきなりガラッと開いた。
お爺さん「それ?ケイトウだよ!」
なんて言葉が飛んできた。
めっちゃびびった。
わたし「わ!!!!!びっくりしました!」
お爺さん「アハハ。」
わたし「ケイトウですか?」
お爺さん「うん、ケイトウ!」
わたし「すごく綺麗ですねぇ…!!ありがとうございました!」
お爺さん「アハハ」
お爺さんはにこやかに楽しそうにしていた。
素敵なお爺さんだった。
それくらいしか話してないけど、いい人だな〜と思った。(もう少し話したかった。)
花は奥さんが育てているのかなぁ。
このあたりは昔ながらのお家やお店が並んで居てとても風流で好きな散歩路だ。

…ケイトウかあ〜。初めてこんなに綺麗なケイトウを見たかもしれない。
ケイトウ、好きな花のひとつになった。

そういえば、イラストレーターの方が、このケイトウを逆さにしてスカートに見立てて女の子を絵描いた、かわいらしい絵を見たことがあるのをふと思い出した。
そこからほどなくしたところに、自然館という純喫茶がある。
その名前通りに自然がたくさんあって、蔦や葉っぱで生い茂られている。
とても素敵な店構えだ。

最近ぜんぜんひと息してなかったから…。
ひと息いれよう。

昔からあるようだけど、今日立っていた店員さんはとても若い人だった。
タメ口でいいのでは?くらい。
なんとなく家族でやっているのかな?なんて考えてみる。
ここは前に一人で散歩しているときにたまたまみつけて、ずっと来たかったのだけど、いつも私が尋ねる時はやってなくて、やっとタイミングが合って来れてとても嬉しい。
(わたしは人に会うときも店に行くときもとてもフィーリングや気分を重視しているので、営業日などをみて合わせて行くようなことはあまりない。)

中身も素敵すぎるんだよね。
みておくれ。
たくさんの石、鉱石、化石たち…。
どきどきするかけらがたくさん置いてある。

なんか化石発掘体験とかもできるらしい。
ワークショップ…やってみたい!
発掘とかアグレッシブなのが好き。
覗き込むと化石の観察ができるように化石がいくつかセッティングされてるコーナーがあって、その中のひとつを覗いてみた写真。
(こういうとこも好き)

そういえば、ケイトウって鶏頭のことかな?
鶏頭。鶏の頭。鶏の頭のトサカに似てるから、ケイトウなのかな。
ブツブツの感じとか、すごく「ぽ い」…。
石類だけじゃなく、本もあった。
星新一がたくさんあった。
今度ゆっくり読みたい。
星新一は中学の時に好きだった。
さくらももこのエッセイと合わせて読んでいた気がする。
SF作家という括りみたいだけど、なんかSFっていうと違くない?って思っちゃう。夢のような文で、SFって思ったことはないなあ。
それと、長野まゆみなんかの本の方がなんとなく合う感じがした。
(鉱石というキーワードでなんとなく、ね!)
ちなみに長野まゆみは大好きだった。
少年少女のファンタジーのような夢のような、現のような。作家。
いつまでも純粋、無垢な感じ。光。ひかり。
ああ雰囲気が素敵すぎる。
なんだか、ひかりのうまに雰囲気が似ているんだよ…この石の並び具合も…。

そして、やっぱり素敵な場所だった!と確信した。ランチもやってるらしく美味しそう。
大切な友達と来たい。
最近会った、メイくんとか、花奈子とか…。
あ、メイくんに手紙出さなきゃ!!
わたしの詩を入れるつもり。
旦那からとわたしから、2つ手紙を入れたいと計画中…。(果たして成されるのか…?)
さて、ここでこのブログを2時間ほどかけて、ずっと書いている。(!)

書いていると、どんどん言葉や考えていることが溢れてくる。それ全てを書かなきゃいけないような気になる。だってせっかくだし。全部大切な、かけらだし。
だからブログは長くなっちゃう。
そうしてると、タイトルも変えなきゃならなくなったりして忙しい。
気合いが要るからとても難しい。
毎日書いてる人は本当にすごい。
わたしはものすごく苦手。
でも、リハビリと思って頑張るんだ。

見てくれてる人、きっといるだろうから。
そして、話は変わるんだけど、なんだかやっぱりこっちへ来ると忙しない。

前は青梅に居たのですが、こっちに来てからもう2年も経ってる。早いなあ。
ふと振り返ると、青梅に居た時みたいにすごくゆっくりしたそんな連続した時間も少なくなってきている。

ああ、恋しいなと思う時もある。少しだけ。
けれどいまわたしはここに居て、前に進んでいる。だからオープンマイクも出るようになったんだと思う。

詩人としての生活もできている──。
そう思う。

戻ってしまうのならば、わざわざ離れた意味もないだろう。
ずっと居れば良かったことだ。

一度離れた土地は戻ってはいけない気がするんだよ。(浮気性と言われればそれまでだ。)
正直、青梅にまた戻るかどうかは分からない。だけれど、同じような場所にまた移ってもいいかもって…少しだけ、思っている。
それに、わたしが将来成したいことだって、わりとすぐにできるだろうな。
家賃や家が安いから。

まあでもこれは仲間が必要だけど。
(仲間は随時募集してます。声かけて〜!)
青梅とか田舎に戻ると、びっくりするほど、創作の時間は大いに生まれ、集中して心置きなく作品制作ができることになる。
お金も溜まり易いし。
(ほんとに最高の場所なんだよ。青梅。)

でもそれって、わたし的には篭るってことになる。ひたすら作品や自分に向けての作業ができるってこと。幸せなんだよね。
(=内・静なる作業。)
内なる作業に対する時間は沢山できるし、作品自体は濃いものとなる。
ゆっくりなにも縛られずに過ごせる。
でも、それに対して、肝心なその作品を発表したり、なにかを見に行ったりという、外に向けて行動するということがどうしても籠りがちになってしまう。
(=外・動なる作業。)
作品を作るという本質的な部分を常に見続けてしまわざるをえないことになり、外に出ることが難しくなってしまうのだ。
(ちなみに金銭的なものや距離の関係なんてものは、きっとまやかしに過ぎない。)
自分や作品、生活を見つめることに居心地の良さを見出すということは、自分のことが好きだということでいいだろうか。
都会に居ても居心地が良ければそこからは出ないだろう。(その居心地の良さが私にとっては東京で一番山や自然に近い、田舎だった。)
居心地の良さ。それは環境のことではないかと思う。環境とは自分で選ぶことができる。
どれだけ自分を愛せる環境を作るかである!
(なんかもうどうしてもブログが哲学的になってしまう…長い…本でも出そうかな…。)
だから、住む場所=環境は自由に選んでいいものなのだと思うのだ。自分のために。

家の更新が2年だとしたら、2年周期で物事をリセットして考えるのもいいと思う。
わたしの生き方に合っている気がしている。

2年経ったら戻る。
2年経ったら違う場所に行く…。
2年先は何をしているか考えるだけで楽しい。

次の2年後は、一体どんな暮らしをしている?
わたしは24歳で、決まった就職先もないが、それでもとてもうまくやって居る。
ストレスも全くない。
それでもやって行けている。幸せだ。
金への執着もなくとても自由に生きている。

もう昔とは違って、働き方や暮らし方は随分変わってきた。
外国では再就職は当たりまえ。
日本だけが就職・安定とよくわからないことを言っている。
そもそも、なぜ就職が安定と思えるのか…。
就職は誰かが作ったひとつの道でしかない。
定期的にお金がもらえるから?
それだけで安定と言うのはおかしいのではないだろうか。合う人だけ就職すれば?と。
一生働いて暮らすのに…。
なんだかあまりにも自分のことを蔑ろにし過ぎなのではないだろうかと思うことばかり。
そうやって何かに囚われている人を見ていると、一旦仕事を辞めるか、職場を変えろ!と思う。あと、頭は大丈夫なのだろうかと心配になる。会社のことではなく自分の事を考えて欲しいと言いたくなる。
あとは、仕事に溢れているのに、なぜわざわざブラック企業に働く人を見ると余計思う。
人にこき使われるドM野郎が多すぎない?
その仕事にやりがいがあるのなら別だけど。

──その仕事、「やりがい」はありますか?
──その生き方、「生きがい」はありますか?
どこも人手が足りなくて、それが逆に今は学歴などどうでもいいからと誰でもやる気があれば採用するいい時代の流れになっているのにも関わらず、探そうとしない人。
それがその人にとっては自由なのかもしれないけれどね。
逆に、話せばわかるかもしれないのに、相談もしないで離職する人もいるね。

あなた自身の心や身体の安定は一体どうしてるの?とたまに思う。

当たり前だけど、就職先がよほど合っていて、ずっと何十年もそこで身を固めてもいいって言うくらい最高なら話は別だと思うよ。
(良ければわたしにも紹介してくれ〜!)
就職とはまるで、結婚のようなものである。

心や身体を無視してこんなに大切なことをお金だけで決める。
紙切れでしかないお金が軸になっちゃってるのはほんとにおかしくてギャグなのかと思っちゃうよね。
ほんと、お金、親や周り、世間の風潮、ノリなんかで決めるなんておかしいことだよ。

人に流されず、ゆっくり決めるべきだ。

はっと思ったが、結婚もひと昔前までは同じ感じで、とても義務的なものであったことを思い出す。
呆れるくらいに振り回され過ぎているな。
でもそんな風潮もなくなり、ほとんど恋愛結婚だから、就職もやっぱり形を変えていくんだろうと思う。

自分で自分の事を決める時代だ。
自立していないと自由はつかめない。
これからの時代最高じゃん。

一緒にがんばろうよ。

potsura.

思うことをぽつら、ぽつら。 小説のような、日記のような ぼくの淡い日々と哲学と本音。

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