障害と膨らむデザイン。

お久しぶりです、ツ白マです。
なんだか、ツイッターに書くこともなくて全然更新してなくてすみません。

わたしはいまデザインなどをしながらいろいろやっていますが、その中で障害のある子供たちを見守るお仕事をしていたり。
様々な現状を見て思うことがたくさんある毎日で変わらず哲学ライフを送っていて、とても楽しいです。
今日はそんな事について朝から考えていました。
朝は働きに行く時に、ハートとプラスの記号が描いてある赤いタグをカバンにつけた女性を見ました。
直感でそのカードはどういう意図なのか分かりましたが、きちんと調べてみました。
その時に初めて❝ヘルプマーク❞、❝ヘルプカード❞というものを認識した瞬間でした。
この方も、健常者(この言葉は好きじゃないけれど使います。ごめんなさい。)に見えるけれど、なにか障害を抱えているんだな〜と思いつつそっと見守っていました。

そして、そのままいつものお仕事をして…。意識せずとも、帰り道もなんとなく朝の続きのような事を考えていました。

そういう特性、個性を持った障害の方がカードやキーホルダーにして意思表示をするのは分かるんだけれど……わたしたちも意思表示できないのかな?と思いました。
『わたしはあなたの助けができるよ』
みたいにわたしたちの意思表示が分かれば、その意味がわかる障害をもった方が逆に進んで必要としてくれるのではないかなと。
そうしたら、障害の方と社会が今より関わりを持つことで身近に感じてもらえるような気がして…。

そしてそんなマーク、キーホルダーはないのかと探したけれど、わたしの探し方が悪かったのかありませんでした。あったらいいのに。

…だったら、デザイナーとして、作りたいと思いました。
人ひとりのデザインであり、人を繋げるデザインにもなるわけで。

けれど、もしかして無かったのはそれ相応の悪用される危険性などがあったからかもしれません。
でも、ヘルプマークがある時点でそれも悪用される危険性や、むしろされている場合がありそうです。(これは前から考えてた事ですが。)
だったら同じ事かなあとも思ったり。

そこで大切なのは、受け入れる事な気がします。

人と人がつながりあい、ぶつかり合っても受け入れる優しい人がたくさん増えたらと思います。

ここに産まれた私たち。
それに地球、宇宙は意思を持たずとも、持てども、何をするにも善と悪が孕むのは間違いないと思うのです。

だったらプラスになれるように。
受け入れる母性が女性にあるように。
可能性がある希望的方向に考えて、進むべきだと思うのです。

それにしても考える余地はありそうな話。向き合いたいです。
やるならちゃんと、デザインをしたい。デザインの根源とは考える事、コンセプトだと思うのです。
それをカタチにするのがモノづくり。

ではまた。

potsura.

思うことをぽつら、ぽつら。 小説のような、日記のような ぼくの淡い日々と哲学と本音。

0コメント

  • 1000 / 1000