詩集制作と今後とわたしの経緯

次は詩集を出すことにしました。
今度はちゃんとしたやつです。
デザインは全て自分。
愛を掛けて制作します。

そして、詩のひとになります。

なんども人から「詩や文がいいね」「詩集を出したほうがいい」と声を貰う事が多かったのですが、心と身体が離れていてなかなか行動に移す事ができませんでした。

このもどかしさと言ったら辛いものがあり、此処まで来るのに苦悩の連続でした。
小6(2007年)から物書きをして、今は2016年。ざっと9年くらいでしょうか。早くもあり遅くもあり。
やりたい事や考える事が多過ぎて定まらない自分に頭がパンクしそうな10代、20代前半でした。
それでもいま思うと、どんどん自分がブラッシュアップされていく感覚があります。
最初は絵から始まりましたがその絵の中でもわたしはコンセプトや思想、哲学の観点から絵を見てしまう事に気付き、思考の早さは手の早さを上回ってしまい、それから絵で何かを表現する事をやめました。
それでも考えることや作ることが好きで、対人間と自分との限られた表現のなか、中立的に、それでもより良く垢を削ぎ落とすことでミニマルに洗練されていくデザインに強く興味を持ち、デザインの専門学校に入学をし、その中でも考え方やコトのデザインを重要視する、表現も自由なアート科があり、わたしの考え方と一致したので専攻をしました。
専門学校でデザインやそれについての考え方を深めていく中で、思考や作品、音楽、モノなど、目に映るすべてのものがデザインなのだという事を感じ、「自分だったらどうデザインをするか」というところを深く掘り下げるような内容でした。楽しかったです。
その頃からデザインを感じる作品を好むようになりました。

そして、今では生き方自体も作品であり、人間自体、人生そのものでさえもデザインなのだと腑に落ちました。
コンセプトや哲学もデザインであり、わたしは自分の一瞬一瞬の気持ちを吐き出したい。
これからも哲学、それをアウトプットすること、ブラッシュアップすることは飽きもせず続けたいし、その事により自分を一生かけてデザインして行きたい。
人は思想を持たずして、生はない。
喜びもない。そしてそれを信じている。

わたしにとって紙とペンと言葉とは、
つまり親友、そして命です。
これは9年前と1mmでも変わりません。
改めて再認識をし、わたしにはこれしかないのだろうと思いました。
その紙とペンと言葉で一瞬一瞬の自分と世界や思想や哲学の断片を切り取り、言葉を組み合わせてデザインをしていく。
パズルのピースみたいに。
人間臭さと儚さそして愛、純粋さを持ち寄って。
誰かひとりに響けばいいとおもう。
これにかけてみようと思います。
此処がやっとの分岐点だと思います。
これからが新しい自分の人生です。
そしてこれは生きる希望。

長くなりましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。
これからも何卒よろしくお願い致します。

ーーツ白マユウコ
2016.9/11

potsura.

思うことをぽつら、ぽつら。 小説のような、日記のような ぼくの淡い日々と哲学と本音。

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