わたしの生き方。

そういうことではない。
そういうことではないんだよ。
そういうふうに人と接すると思うことが多々あります。生き方について。

こんにちは。ツ白マです。
「自然な流れ」について自分なりに思うことを書いていきます。

わたしは「自然な流れ」で生きていきたいと思っています。
アートに対してもそうだし、引っ越しするかしないか、洋服を買うか買わないか、ライブを見に行くか行かないか、人に会うか会わないか、食べ物を買う買わない……etc.

いろんなこと、生活に対して「自然な流れ」でというコンセプトで生きています。

自然な流れとは、
「心」と「お金」と「身体」と一番重要なのは「タイミング」「直感」
この4つで大体決まります。
人と会うにしても、これが全て満たす「タイミング」があるんですよ。
このうちどれかが欠如していると、不安要素が募り、あまりいい方向には行かない、あるいはいい体験は出来たけど、お金はなくなった・・・などと本当に満足な状態では帰れないことが多い。

それでもイレギュラー的に「直感」があって、頭の「欲望」ではなく、あっ、これは行ったほうがいい気がする!と心の「直感」を感じたら素敵な方向に行くんですよ。不思議と。
飲みだったら、誰かが奢ってくれたりとか。わたしは発言する時も直感を使う時があります。
その「欲望」と「直感」の区別が付くようになるととても楽で素敵な出会いがあります。

そういうことをしていると、偶然(必然ですが)のサプライズや出会いがあって、とっても嬉しいことが重なったりします。

とても楽なんですよね。
行きたくなかったら行かないし、お金が無かったら無理していく必要もないんですよ。行きたかったところ、買いたいものはまた巡り合えるし、その時に行けばいいし買えばいいんだから。

実際ずっと連絡も取ってない友達とタイミングよく会えたり、お金がなくて行けない時は来てくれたりします。
先日も何年も連絡とってない友達とばったり奇跡的なタイミングで会えました。気まずさは全くないものなのです。無理やり会うよりもそういう時にこそ話が膨らむもので、醍醐味です。

きっと、私が会いに行くときも相手にとってもそういう時があるんだと思います。

急ぐ必要も焦る必要もないんですよ。
どこにだって人はいます。
モノだって代わりがあります。
なくても生活できる。
その時になったら巡ってくるものです。モノだったら、安くなってたり、違うものでも安く代用できるものに巡り会えたり、人から貰えたりします。
わたしは引越しの時にほとんど家電などを人からタダで頂きました。
欲張ることがマイナスな方向へ行く。
浪費に繋がる。

アート展示もそうです。お金に余裕が無いのに展示を開いても元も子もないです。いいものも作れないし、心の余裕がないからです。
その結果、落ち着いて作れません。

無理して行ってもそれだけのものを得ることは少ないですし、人と会うならLINEやら手紙、などで事が済むのではないかと感じます。
もしそれだけのものを得たとしても、直感を感じた時に動いたんだろうと思います。

そういう「タイミング」ではない時というのは、準備が整ってないという事です。
何かが足りないという事は、その何かがもう少しで足りるということ。
そこを超えた時に、今「欲望」で掴んだ時よりももっと素敵な「タイミング」が現れると思います。
余裕が無いと、なかなかそういう心構えができないものだけど、そういう時にこそ、どれだけ待てるかで自分の人としての価値が分かるような気がします。

そして、その結果、無駄で精神的な浪費や金銭的な浪費もなく、楽しい生活を送れるんですよね。

とってもシンプルで豊かなお勧めしたい生き方です。
わたしたちは今を生きていて、今は無限にあると思うんです。
急ぐ必要も頑張る必要もない。
そういう自然の流れで付き合えば、リスナーも友達もお金もきっと逃げないきがします。

諦め=悟りにも少しだけ似ている、引き算の生き方です。
その時を待つ、それだけのシンプルな行き方です。
ではまた!

potsura.

思うことをぽつら、ぽつら。 小説のような、日記のような ぼくの淡い日々と哲学と本音。

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